「 絵付けのある器シリーズ 」
その名の通り、絵付けの施された器の事です
そういう意味では
一連のカラフルシリーズも、「絵付けのある器」と言えるのですが
ここでは、そういった縞文様や連続文様ではなく
カニやブドウ等の、具象的な絵付けが施された器に的を絞って、ご紹介したいと思います
私見ですが
同じ焼き物に施されたものであっても、「 絵付け」と「絵画」は別物ではないかと思っています
ややこじつけのようですが、この違いを最初に理解する事は、絵筆を取る上で、とても大切なもののように思います
「絵付け」というのは、料理を引き立たせる事が何よりも大事な役割。とくに日常食器においては、尚の事です
その為には、適度に簡略化された図案力のようなものが求められます
それに対して、器に施された「絵画」は、読んで字のごとくリアルな絵画。それだけで完結した作品なのでしょうね
例えば観賞用やインテリアとして。あるいは日常を離れた、特別な場でのテーブルウエアとして、その真価を発揮するように思われます
どちらが良い悪いの話ではなく、作り手さんの目指す方向性の違いであって
どちらも必要な世界だと思います
僕が作る上で大事にしているのは、日常でお使い頂くための食器
故に、器に施すのは「絵付け」という事になります
実は長倉が描く「絵付け」に、原則完全オリジナルはございません
古今東西、先人の残した仕事から範を取りつつ、自分なりにアレンジを加えているのです
そのお手本は様々
古くは古代ペルシャ陶器から、比較的新しいところでは北大路魯山人まで
国も年代もバラバラ
何故、このようなプロセスを取っているかと言いますと
オリジナルの図案を作り上げる力が、長倉にはない事を理解しているからです
歴史に裏打ちされた、適度に簡略化された絵付けには、料理を盛り付けるのに相応しい説得力があります
例えば、かつての職人さんが、流れ作業のようなおびただしい数をこなす中で
効率のため、無駄な手数を省いた引き算の筆致には
料理を盛るのに丁度良い塩梅の、自然なさじ加減があります
そのようなものに、長倉が到底太刀打ちできるはずもありません
ならば、素直に先人の仕事をお手本とし
それを現代の生活にアップデートする事の方が
正しい仕事のように思えるのです
長倉の絵付けには、必ず本歌があります
でも、ただ本歌の真似をするのではなく
その本歌に敬意を払いつつ、自分なりの解釈で
今日、私達の日常の
食卓という一番深いところで
長く息づく器を作れたら
それが長倉にとっての、なによりの幸せなのです
準備中です