長倉の独り言

田中一村・とある婦人誌の特集より

一枚の写真を見て思った事

ただの独り言です。
そこそこ 長文ですので、ご無理をなさらず
もし、興味がありましたら どうぞ
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昔は 本屋に行けば、必ずと言っていいほど、女性誌コーナーを チェックしたものでした
器の「今」を知るには、女性誌が最適だと思ったからです
時々、器の特集とか ありましたし、
地方にいると、そんな情報が刺激になったんですね
いっとき、そういう事から 離れてた時期もありましたが
最近また、ちょくちょくと、チェックしはじめてたんです
先日も 本屋へ行く機会があって
そこで、たまたま 手に取った 女性誌の特集が、個人的に面白いなと思ったので
備忘録を兼ねて シェアしますね
その雑誌は、おそらく 誌名は ご存知かも知れません
知らべてみたら、現存する日本最古の婦人誌のようです
その為か、組まれる特集も、どこか趣があるように思えるのですが
手にした時の内容も、まさにそんな感じでした
巻頭特集は、「こだわりの住まい」という旨のタイトル
何人かの、恐らくは著名な方々なのでしょう
複数のお宅が 紹介されていたのですが
これがまた、 どれも素晴らしくて!
 煌びやか とは別の、その雑誌に相応しいような、優雅さが漂う暮らし、と言えばいいでしょうか?
だれもが 羨むような 暮らしぶりなんですね
ページを進めると、今度は日本画家
「田中一村」の特集
いま、都内の美術館で、大きな企画展をやってるからなのでしょう
特集は、一村の晩年に 焦点を当てたものだったのですが
その作風は唯一無二
展覧会が開かれれば、多くの人がつめかけ、観る者を魅了する人気の画家
巻頭の お宅拝見と 田中一村
件の雑誌に 特集される位なのですから
いずれ劣らぬ 方々なのでしょう
一見すると、同一線上にあるかのように思えるのですが
田中一村の特集にあった、一枚の写真に
人の生き方の多様性を、感じてしまったんですね
「 田中一村 」
日本画家
明治41(1908)年、栃木県生まれ
幼少の頃から画才を発揮し、若くして南画家として活躍するも
中央画壇に認められる事はなかった
50歳で 単身 奄美大島に移住
以後、紬工場で染色工として働き,蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返す
亜熱帯を題材に、日本画の新境地を開くも、世に作品を発表する事なく
昭和52(1977)年、69歳でひっそりと だれにも看取られずに、その生涯を閉じた
支援する人もいたようですが
実力 才能はあれども、終生 中央画壇の華々しさとは、縁のなかった画家という事でしょうか
2ヶ月で退学した 東京美術学校(現、東京芸大)の同期には
東山魁夷はじめ、後に「花の六年組」と呼ばれる 綺羅 星のような世代だった事を考えてると
その落差たるや です
没後3年、奄美をおとずれた NHKのプロデューサーに、偶然作品が「発見」された事で
特集番組が組まれ、瞬く間に 評価が高まったからこそ
「今日、私達が知る “田中一村 ”」が出来上がり
件の雑誌に取り上げられる事に、なんの違和感も覚えないだけで
そうでもなければ 、巻頭特集と同一線上に紹介されるような
「社会的」には、そんな生涯を送ってはいない人だった はずなんです
そんな事を 思ってしまったのは
一村 のページの中に、一枚の写真を見たから
それは一村  終焉の家
今も保存されてる そうなんですが
庵といえば、格好もつきますが
粗末な小屋にも見えるその家を
長年 借家暮らしだった一村は
「まるで御殿のようだ」と喜んだそうなんです
引っ越して すぐに亡くなったので、
わずか10日の暮らしでした
巻頭の優雅な暮らしぶりと、一村の生涯
何も考えなければ、いずれ劣らぬ一級の人と、ページをめくった事でしょう
中央画壇とは縁のなかった その人生も
今や 一村の魅力のひとつとなり
彼の画業を彩るものとして、今日では 語られているのですから
でも、その華々しさが 、
生きてる間の事なのか、没後の事なのか
その違いは、大河の両岸の如く  遼遠なもの
雑誌の編集者も、そこまで意図した訳では ないのでしょうが
一村、終焉の家の写真を、一枚差し込む事で
巻頭の優雅な暮らしぶりとのコントラストが
はっきりと 鮮明に、そして強烈に写し出されたように
僕には思えたのです
不器用な人だったのでしょう、
田中一村という方は
「実力的」にではなく「世間的」に
才能、画力は十分あったのですから、
もう少し譲歩するところがあれば
「花の六年組」共々、中央で華々しい画家人生も、おくれたのでしょうに
見えてたんでしょうね、恐らく
自分の進むべき「道」というものが
それは、地位や名声とは 両立できない
どうしても譲れない
「進むべき、我が道」だったのでしょう
考え方は、人それぞれだと思います
生きてるからこそ、生きてる間に楽しく、幸せでなければ意味がないと考える方もいらっしゃるでしょうし
それとは別の幸福論も あると思います
どちらが 良い悪いという話ではありません
ですが 没後47年
生前、「最後は東京で個展を開き 絵の決着をつけたい」
と言っていた、その東京で
2ヶ月で退学した旧東京美術学校のあった 上野という地で
大規模な回顧展が開かれる
残した作品と
自分の進むべき道を、歩み続けた その生涯は
忘れ去られるどころか、年々光り輝くばかり
そんな田中一村に、今後益々、人は魅了されて いくのでしょう
僕もその一人です
先日、ふと立ち寄った本屋の 女性誌コーナーで
何気なく 手に取った雑誌の中の
一枚の 古びた小さな家の写真に
そんな事を、思ってしまったんです
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「田中一村 展」(東京都美術館)
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