長倉の「絵」

草枕 夏目漱石

山路を登りながらこう考えた

【この文章は、令和3年11月6日に SNSにアップしたものです】
生来、本というものが読めなくて
勿論、何冊かは読んだ事はありますよ(笑)
でも、トライした本の殆どが、途中で挫折する事が多くて
そんな自分を見る度、集中力がないんだろうなあ
なんて思っていたんです、ずっと
時々なのですが、長倉のアップしたSNSの文章をお読み頂いた方から
さぞ 読書家のように思われたりして 驚くのですが
当方、齢52。生まれて此の方、読破した本の数なんて、多分20冊もないでしょう
本を読んでいて、刺さる言葉に出会った瞬間から
それに紐付いた妄想、空想に 頭(脳)が舵を切り出して
それっきり、本文に戻れなくなり挫折(笑)
そんな事の繰り返しなんですよね
だから、刺さる言葉に出会える為に本を読み
出会えたところで、その本は長倉にとって血肉になってくれたのでOK
そんな風に、自分を納得させていたんです
で、夏目漱石の「草枕」
長倉にとっては 冒頭の十数行がそれにあたっていました
この30年、何度もトライしては挫折して
ずっと心の片隅にあって、気になる存在だったのです
今年に入って、そんな自分を改めようと
恐る恐る、本を読みだしました
1日1ページでも、何日かかっても良いから、とにかく本を読む習慣を身につけようと
まさに五十の手習い (かな?)
その流れで、「草枕」も 再チャレンジしてみたんです
図書館から借りて来て。1ヶ月かかりました
して 読んでみた結果は?
やっぱり冒頭の十数行が良かったです(笑)
(あくまで長倉の個人的な感想ですよ)
「山道を登りながら」と情景豊かに始まるも
やがて 無駄のない言葉で、人生というものを端的に表した
何故か、どうして、心に響く冒頭の十数行
浅学非才の長倉が語るのは、大変おこがましいですが
こんな言葉を紡ぎだせる夏目漱石って、やっぱり凄かったのかな?
この歳になって やっと、そんな事を思うのでした
そんな折、世の読書家の中には、本は全部が全部、無理して読破しなくても良いんだよ
という旨の言葉を耳にして
あれ?。じゃあ、今までの長倉のやり方は
決して間違いでもなかったのかしらん?
なんて思ったりも、するのでした(笑)
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